北品川本通り商店会

もっと知りたい品川宿

北品川一丁目町会大神輿

町会大神輿
この神輿は大正11年に小供後援会(子供神輿)として大正11年に製作されました。北一町会大人神輿を準備している際に台座裏に刻んである神輿師や世話人の方々の名前を調べてみました。
台座裏前側には
御神輿製造所
神田岩本町十三
村地 仙太郎
世話人
秋山 市五郎
坂本 三次郎
台座裏後側には
小供神輿
新調世話人
山口 春吉
星野 逢之助
内田 榮太郎
久保田清次郎
中山 與三郎
遠藤 喜三郎
次山 小三郎
岡田 彦太郎
大正拾一年六月吉日
と刻まれていました。
現在神輿には、作人札が宮本重義となっていますが、修復したのが宮本重義さんで、最初に製作したのは御神輿製作所の村地 仙太郎さんだった、ということがわかりました。
先人の皆さま、いい神輿を残してくださり本当にありがとうございました。まもなくその神輿も出御します。神様や先人の皆さんも喜んでくださるよう、元気に渡御をしたいと思います。

お祭りの話

例大祭
品川のまちもお祭り一色のシーズンがやってきました。この季節が、 まちも品川っ子も一番輝いて見える季節なのではないでしょうか。 てなことで、やはり最初はお祭りの話から。
年号とかは詳しく分かりませんが、明治・大正・昭和の頃のお話をランダムにさせていただきます。
わが北品川本通り商店会は北品川一丁目町会に所属しています。
当町会神輿倉には

  • 大神輿
    大正11年 御神輿製造所 神田岩本町十三 村地 仙太郎作(神輿裏に刻印記載あり)
    修復 宮本重義
  • 中神輿
    昭和58年 宮本重義作
  • 子ども中神輿
    昭和30年代 宮本重義作
  • 子ども小神輿
    昭和初期 京橋 秋山三五郎作 
  • 鈴山車
    おそらく明治期作 作人不詳(現在も曳かれています)
  • ※龍神山車
    嘉永4年 百雲正 作 (高欄・人形等のみ現存)
    明治18年・大正4年 と二度修復されたようです

といった町の宝を所蔵しています。
昔は町内に、若衆を中心とした松川会という会があり、祭礼を取り仕切っていたようで、その後「北品川新宿睦会(きたしながわしんしゅくむつみかい)」になったと聞きます。そして現在の町会名になったそうです。
なので、今でも北品川一丁目町会の紋は、松川会の紋「松皮菱」が使われ、 鈴山車等に付いている高張り提灯等には「北新」の文字が記されています。
北品川一丁目町会の手ぬぐいの柄も、松皮菱・雪輪(太鼓を意味するそうです)そして鈴山車の鈴があしらわれています。
昔の名残や伝統をどこかに残して伝えて行くって素敵だと思いませんか。

前説

はじめまして、私 みこし野郎(大越)は北品川でに生まれ育ち、現在でも生家のあった場所(北品川本通り商店会内)に住み続けている、品川大好き男であります。

子どもの頃から品川のお祭りが大好きで、この歳になるまでずっと、1年が祭りを中心に回っていると言っても過言で無い暮らしをしています。(これは自分だけと言うことでなく、多くの品川っ子達がそんな暮らしをしています。)そんな自分が、昔の品川や品川っ子の暮らし、年中行事、風物詩等に興味を持つようになったきっかけは、ガキの頃からよ耳にした、当時のお年寄りが言う「昔は良かった!」「昔の品川や祭りはすごかった!」って言葉。昔のお祭りはどうだったんだろう?って興味を持ち始め、ついには昔の品川ってどうすごかったんだろう? と、昔の品川の話が聞きたくて、近所の銭湯でガキの頃から世話になったA田の爺ちゃんの背中を流しながら、あれこれ聞いた話や、昔のことを良く知る近所の方々、親戚、両親に聞いた話をを中心に、これからのんびり書いていこうと思います。もし、違って書いていることがありましたら、ご指摘いただければ、と思っております。 かつての長老達から人づてに聞いた話を伺っていますので、本当の話も、尾ひれがついた話しもあるかもしれません。 でも「昔の品川は楽しかったんだってさ。」って軽い感じで読んでいただき、次代を担う子ども達や多くの皆さんに、昔からの風習や風物詩等も含め後世に伝えていただければとても嬉しいです。酒飲みながらこんな文章を書いていたら、きっと泣いてますね…(^^;

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