東海道品川宿 なぞなぞ町歩き 解答
きょろきょろ、えっ?、じろじろ、ふむふむ、なっとく。
品川宿には謎がいっぱい。どこにいても謎だらけ。
問題・解答
なぞなぞ町歩き難しかったかの。全問正解は7割ほどじゃ。
それでは、答え合わせをしよう。
旧東海道には近年作られた大きな道路以外、四つ角がないのはなぜでしょう?
- 敵が攻めてきづらくするため
- 潮風が吹き抜けないようにする工夫
- 品川宿オリジナルのデザイン
2番が正解
江戸時代、品川宿は東海道が海岸沿いを通っていたため、潮風が吹き抜けないよう「辻違え(つじちがえ)」という路地をずらして四つ角にならないように工夫をしていたそうじゃ。
旧東海道に対して店構えが斜めになっている理由は?
- デザイン的にわざと
- 店のPRや入りやすくするため
- 昔の海岸線に沿って旧東海道道を整備したため
2番が正解
江戸時代から日本は左側通行だったのではないかと考えられる。昔はすれ違う際に刀と刀がぶつかると、もめごとになったり切り合いになったりしたこともあったそうじゃ。品川宿辺りの東海道の道幅は大名表列もすれ違えるくらいの広さと言われており、左側通行にすると脇差し(刀)が外に来るため、ぶつかることなくすれ違える。そのため左側通行の人にPRしやすいように斜めに店を構えたと考えられるのじゃ。
旧東海道がまっすぐでない理由は?
- スピードを出しにくくするため
- 景観を重視したため
- 昔の海岸線に沿って旧東海道道を整備したため
3番が正解
答えの通り海岸線に沿って東海道を通したため、まっすぐな道にはならなかったのじゃ。
利田神社境内には鯨塚があります。江戸時代寛政年間に品川沖に鯨が迷い込み江戸中が大騒ぎになったそうです。 さて、江戸時代に江戸市中を騒がせた3大動物というのがあるのですが、1つは寛政年間の「鯨」、2つ目は享保年間に長崎から連れ来られた「象」、そしても3つ目の文化年間に長崎から連れてこられた動物は何でしょうか?
- ラクダ
- キリン
- ライオン
1番が正解
年代順にいうと、享保年間に「象」、寛政年間に「鯨」、文政年間に「ラクダ」が江戸町民や品川っ子たちを騒がせた江戸三大動物事件として記録が残っておるのじゃ。
品海公園の花壇に再利用されている石は何の石でしょうか?
- 御殿山の石
- 富士山の石
- 海岸線跡の石
3番が正解
品海公園の近隣の古民家を立て直す際、海岸線の石垣が残っておりその石を残すためにもらい受け、品海公園改修の際に花壇の石として再利用したそうじゃ。現在も品海公園には説明看板が立っておるぞ。
近年まで旧東海道には「相模屋」と呼ばれる飯売旅籠屋があり、通称で土蔵相模と呼ばれていました。この土蔵と呼ばれた由来はなんでしょう。
- 土蔵という人が経営していたから
- もともと蔵だったから
- 土蔵造りで外装が海鼠(なまこ)塀だったから
3番が正解
今は東海道沿いにあるファミリーマート北品川店の場所が土蔵相模跡じゃ。高杉晋作等歴史的にも有名な人物も投宿し、歴史上重大事件の密儀が行われた場所でもあるのじゃ。案内看板が立っているので、是非見ておいてほしいぞ。
台場小学校の校門前にあるミニ台場の大きな石は、他のお台場の石垣の石(真鶴石や房総石といわれています)と同じものといわれていますが、江戸までどのようにして運んだでしょうか?
- 船で
- 馬車でひいて
- 荷車に載せて
1番が正解
船で海から運搬したそうじゃ。ただ江戸時代の船は木造船なので重たい石を積んだら船が壊れて沈んでしまう。そこで船と船の間の海中に吊るして、浮力を利用して運んだようじゃ。昔の人知恵はすごいのぅ。
もともと海が近い品川宿ですが、猟師町としても栄え20世紀半ばまで海で養殖されていた特産品があります。何でしょうか。
- あさり
- 鯛
- 海苔
3番が正解
当時、海苔(のり)の養殖が品川から大森にかけて盛んに行われ、美味しい極上の海苔が採れていたそうじゃ。それを干して加工し「浅草海苔」という名前で江戸土産になっていたそうじゃよ。今でも海苔巻きあられを「品川巻」というじゃろ。そのくらい品川の海苔は有名だったのじゃよ。
黒門横丁はどうしてそのような名前が付いたのでしょうか?
- クロモンカフェがあるから
- 昔、東海寺の入り口である黒い門があったから
- 昔、黒門という親方が住んでいたから
2番が正解
現在の東海寺は江戸時代とても広い領地を持っており、黒門横町の第一京浜寄りに東海寺の入口の黒門が建っていたそうじゃ。昔の東海寺の境内はものすごく広かったようじゃのぅ。
さくらさくみらい北品川保育園入り口にある木は?
- 桜
- 松
- マンドラゴラ
2番が正解
30年以上前からまちづくり活動をしている、旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会が東海道沿いに各宿場から譲り受けた街道松を植樹する事業を行っており、ここには袋井宿から譲り受けた街道松が植樹されているのじゃ。
難しかったかの また、なぞなぞを出す機会があったときは、また、皆でたのしんでおくれ。
その時まで、またな。